光市母子殺人事件について、ある大学の准教授が被害者を中傷する記事をブログに書いていて早速この方のブログを拝見しました。
光市母子殺人事件についてだけではなく、その他のいろいろな方々に対しての非人間的な発言、はたまた、近所の小学校のことまで低レベルの悪口を書いていらっしゃいまして、大きな怒りを通り越して どうなったらこんな人間が出来上がるのか不思議でたまりません。
今、この准教授のことについていろいろ考え中でございます。
いずれ、この准教授について書こうと思っておりますので(この方の言う 表現の自由 を使います。とんでもない表現をするかもしれせん)、しばし過去の記事をお楽しみくださいませ。
これは、僕が今までで1番考えさせられた出来事、出会いでした。
・・・・・・
カギ屋という仕事は、ただ単に「モノ」を売るだけではなく、「技術」と「安心」を提供するため、他の販売、サービス業より繊細な接客技術を必要とします。お客様とのコミュニケーションの中でお客様の本心を見抜き、要望にできるだけ沿うものを提案します(カギ屋のみが、特別な接客技術が必要だといえば、他の販売、サービス業に対して失礼かも知れませんが、特に「セキュリティ」を扱うという面で、僕は異なると思っています)。
もうずいぶん前のことですが、夏前の日曜日だったと思います。
老夫婦でした。旦那様がカギについていろいろ聞いてこられました。ご要望は防犯性の高いカギを御自分で取り付けられたいということでした。
まず錠前の種類を確認し、それに適合する防犯性の高いカギを何種類か提案いたしました。その当時、僕の店では6種類のカギ(防犯性の高いシリンダー)を扱っておりました。
一つ一つの説明がおわり、ある外国製のシリンダーを買いたいということになりました。そのカギはオーナー登録制になっており、お名前、住所などを記入してそのメーカーに登録するというものでした(通常の防犯性<耐ピッキング、耐破錠>に加えて、オーナーでなければスペアキーを作ることができないというセキュリティを備えたものでした)。
僕は、「こちらにご記入ください。取り付けをされるご住所とお名前などです。お手数ですが。販売店として当店でも1枚お預かりいたします」と申し上げましたら、今まで何も発言されなかった御婦人が突然
「あなたに、住所を教えなくちゃいけないの?」と明らかに嫌悪感を抱いた表情で僕に言ってきました。
もし、僕以外のカギ屋なら、もう一回丁寧に御説明するか、お断りするかで済んだと思いますが、僕はちがいました。
「お客様、確かに今日始めてお会いしましたので、信用も何もないと思いますが、こちらが住所をお聞きすることさえできないほど信用されないのでしたら、僕の店で買わないで下さい。僕を始めから疑っているのなら、もう二度と来ないで下さい。どんな御事情があるか存じませんが、人間としての最低限のマナーを守れない方にはこちらで買っていただかなくても結構です。何よりも、あまりにも僕に対して失礼です。僕に対して謝ってください。」といってしまいました(実際には、こんなきれいな言葉ではありませんでした。涙も流れていました)。
このことについては僕がおかしいのでしょうか?人格を否定されたと思うことは、僕の被害妄想でしょうか?僕の我慢が足りなかったのでしょうか?それとも怒るような事ではないのでしょうか?
確かに僕も言いおわった後でかなり後悔しましたが、僕にも感情があります。あまりにもむき出しにしてしまったので、横で全てを見ていたスタッフもかなり怯えていました。
しばらく沈黙が続いた後、旦那様が
「申し訳ございませんでした」
と深々と頭を下げられました。予想外でした(この接客で消費者センターに相談されるかと思ったぐらいでしたから)。
後出しかも知れませんが、こんな若輩者の言葉で、長い人生を重ねてこられた方に頭を下げさせてしまったことが、僕はものすごくつらかったです。この方にもプライドもあるだろうにと思いながら、自分の吐いた言葉が毒のようにしばらく僕を悩ませ続けました。
この話の結末は、少し意外でした。
結局、老夫婦はその当日に一つその外国製のカギを買って行かれ、後日(1ヶ月後くらいだったと思います)にも、もう一つ同種のカギを買っていかれました(もちろん登録書に御記入されました)。
感情をむき出しにした僕の言葉を、わずか1%ほどの僕の正義を、この老夫婦は広い懐で包んでくださったと思っています。
コミュニケーションの難しさと、コミュニケーションの多彩さを考えさせられた出来事でした。
2008年04月29日
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とてもとてもよくわかります。
口にした言葉はもう取り消しようが無いし、おそらくご婦人は余程手痛い目に遭うか、心配したかそういうことが根底にあったはずで、だからこその発言であり、そんなに心配なら頼むなというのはロンサンの正論でしょう。
別にどちらも間違ってはいません。
ただ、あなたのいいところというか、切ないところは、きちんと相手の気持ちがわかることです。
後先がどうでも、ひとの心に触れたことを感じ、次に活かせるならそれでよいのではないでしょうか。
感じないままの人間も多すぎる世の中ですから。ただ老紳士のようには・・なかなかなれないものですけどね。
優しく接すれば相手も・・・が必ずいつもそうとは限りませんし、難しいことですが。
いつからか、人の心 を解ろうとするために人間は生きているのではないだろうか?と考えるようになりました(今でもそうです)。
人は、他人に対して 本心を打ち明けれるかどうかいつも観察しているのでしょうね。
この方は、おそらく僕を 信頼云々以前の、どうでもいい 売り子 だから、何でも言えたのだと思います。
北野武さんが、人は、マリオネットのようなものだとある詩で書いておられました。操られたくないと思っても、糸が切られてしまうと立ってさえいられなくなると。
人と人、本当に難しいものです。